氷雨-REIN OF SORROW

 

エレノアは窓の外を見た。

正午前から降り出した氷雨は、まだ、しとしとと降り続いている。

 

そう言えばサルゴンと別れた朝も、こんな雨だった。

別れた…と言うのは正確では無いかもしれない。

 

自分が彼を置いてきたのだった。

 

彼は才能のある若者だった。

出来ることならこの見所のある若者の成長する姿を、この目で、間近で見ていたかった。

けれどエレノアにはもう彼に着いて行くだけの若さがなかった。

サルゴンがどんどん力を伸ばして行く一方で、自分の体力はどんどん衰えて行く。

サルゴンの足手纏いにはなりたくない。

けれどサルゴンはその話を持ち出した時それを否定した。

「エレノアさん一人くらい俺が護れますよ。その為のヴィジランツでしょう?」

その気持ちに甘えていてはきっと彼はこの先力を伸ばして行けない。

 

だから、彼を置いて出て行こうと。

エレノアは決意して、その明け方にサルゴンを置いて宿屋をそっと出たのだった。

 

あれから彼はどうしたろう。

自分が置いて行かれた理由に、疑問を抱かなかっただろうか?

傷ついてしまっただろうか。

…自分を、恨んでいるだろうか。

 

彼ハ今ドウシテイルダロウカ?

 

 

ハン・ノヴァ。

「鋼の13世」と称されるギュスターヴ13世が創ったと言うこの都は今、自ら「ギュスターヴ」と名乗る者に統治されている。

だがあれは偽物だ。エレノアは知っていた。

まだ駆け出しだった頃に一度だけ見る機会があったギュスターヴ13世はあの様に禍禍しい気を放った人物ではなかった。

昔仲間だったリチャード・ナイツに聞いた「エッグ」と言うクヴェルが「ギュスターヴ」を名乗る男の手中にある事も薄々感じていた。

だからエレノアの中では「彼は悪である」と言う考えが定着しつつあった。

けれど彼がヤーデ伯チャールズを打ち負かす程の実力の持ち主であり、

またそれだけの兵を集める事が出来るほどの人望がある事も事実であった。

「…ま、そんな事はどうでもいいか。統治する者が何であれ、今はそこそこ平和だからねえ」

そんな投げやりな事を呟きながらエレノアは果物屋の店先で足を止めた。

雨避けの庇を張り出した店先でグレープフルーツが涼しい香りを立ち昇らせている。

「…すみません、このグレープフルーツをふたつ」

そのエレノアの後ろから背中に弓を担いだ少年と腰にナイフを下げた少年が傘もささずに雨の中をばたばたと走ってくる。

「おい、急げよ!始まっちゃうぞ!!」

腰にナイフを下げた少年は短く刈った銀髪で、まだ幼かった頃のサルゴンを思い出させた。

「若い子は元気が合って良いわねえ」

エレノアは目を細めて彼らの様子を見ていた。

銀髪の少年の後ろを走る茶髪の少年は術士らしく、萌黄色のローブが足に絡まって上手く走れない様子だった。

「待ってよ〜…」

「ほらぁ、急げよ!今日はギュスターヴ様とエーデルリッター様にお目にかかれる数少ないチャンスなんだぞ!?

ぐずぐずしてたらサルゴン様の姿も見られないだろ!!」

その一言でエレノアは凍りついた。

『サルゴンがエーデルリッターに…!?』

「はい、お客さん。今日は良いのが入ったからオレンジもおまけしておいたよ」

気の良さそうな果物屋の主人がにこにこしながら紙袋を手渡す。

「…今日何かあるの?エーデルリッター…サルゴンって…」

エレノアはなるべく平静を装って主人に訊ねた。

「今日は王宮で次の戦いに向けての決起集会があるんですよ。

中でもエーデルリッターのサルゴン様は戦績も多く正義感に溢れていて、少年達の憧れの騎士様で、

『サルゴン様がいるから軍に入りたい』と言う少年まで居る程なんです」

「王宮へはどっちから行ったら良いの!?」

エレノアは方向を聞き出すと傘もささずに雨の中を駆け出した。

 

「エーデルリッター」の名は聞いた事があった。

ギュスターヴ直属の「偉大なる騎士」の意味を持つ6人の精鋭達。

まさかその中にサルゴンが入っているなんて思いもしなかった。

嘘だ。

 

コレハ嘘ダ…?

 

王宮のバルコニーに立ち、民衆に誇らしげに手を振る金髪の男、「ギュスターヴ」を名乗る男の後ろに控える6人の騎士達。

それぞれ奇抜な格好をしており騎士のようには見えなかった。まるで道化のよう。

――――――あれが、いざという時にはものすごい能力を発揮すると言うエーデルリッター…

その中に、確かにサルゴンも居た。

エレノアは確信した。あれは「彼」本人だと。アニマが、そう物語っていた。

エレノアは踵を返した。現実を受け止めるまで、暫く頭を冷やしたかった。

 

そして、サルゴンも気付いていた。

顔こそ見えなかったが、あれは彼女が気に入っていていつも被っていた帽子だった。

何より、あの燃え上がるような激しいアニマは間違いなく彼女だ。

だがサルゴンは背を向けて去って行った彼女をバルコニーの上からギュスターヴの肩越しに見送るしか出来なかった。

 

夜になって降り続いていた冷たい雨はやんだ。

エーデルリッターの一人、イシスは王宮の窓からハン・ノヴァの街を眺めていた。

「やっと雨もやみましたね。昼間は寒くて仕方なかったですよ〜…でも明日の朝は道に氷が張りそうですね。ねえサルゴンさん?」

イシスは振り返ったが、そこにサルゴンの姿は無かった。

「あれ?」

先刻までサルゴンは自分のすぐ後ろの椅子に座っていたはずだった。

イシスはドアのすぐ側のソファに腰掛けて本を読んでいる、同じくエーデルリッターの一人のボルスに声をかけた。

「ボルス〜サルゴンさんは?」

ボルスは切れ長の目を本から上げずに答えた。

「今しがた出ていった」

ボルスはそう言うと長い足を組替えた。

イシスはぷっと頬を膨らませた。

「どうして教えてくれないの。いっつもそうやってクールぶるんだから、ボルスは」

「教えてどうする」

サルゴンが席を立ったのに気付かないほどひとりで浸っていたくせに、とでも言いたげにボルスは顔を上げた。

「昼間からずっとあんな調子だ。放っておけ」

ボルスは不機嫌そうに前髪を掻きあげると再び本に目を落とした。

すると部屋の隅で寝そべっていたトーワが同調した。

「そーや、こんなガキの相手一日中しよったらいくらサルゴンでも疲れるで。放っといてやれや」

「うるさいよ、トーワ!」

拗ねてしまったイシスにトーワが宥めるように言った。

「サルゴンかて色々あるやろ。あいつボルスよか7年、俺よか18年、お前よか21年も多く生きとんのやで?な?」

トーワの良くわからないフォローでどうにか機嫌を取り戻したイシスはまた窓の外を見上げた。

「でも心配だよね。何か今日はツラそうな顔してたしさ」

「そやな…」

雨の上がった空で、星が冷たく輝いている。

 

同じ星空の下でサルゴンはハン・ノヴァの街を歩いていた。

「サルゴン」

名を呼ばれて不意に顔を上げると、宿屋の階段の上にエレノアが立っていた。

月明かりが幽かにあるが、互いの顔はぼんやりとしか見えない。

「ここに居れば何となく会える気がした」

「…お久しぶりです、エレノアさん」

他愛無い話ばかりだった。十数年ぶりの再会だったのにも関わらず何を話したのかエレノアは良く覚えていない。

ただ覚えているのは、彼の口からエレノアを責める言葉は一言も聞かれなかった事だ。あのような別れ方をしたのに。

「今は…エーデルリッターの一員として、頑張っています…ヴィジランツの仕事はかなり前に…辞めました」

「エーデルリッター、か…」

エレノアは迷った。この一言を言うべきかを。

「偽ギュスにこのまま味方をするつもりなの」「あいつは悪なのよ」「どういうつもりなの」……

それを見透かしたかのようにサルゴンは呟いた。

「俺は…目前の力に目が眩んで、取り返しのつかないような事をしてしまったように思います。

それはよくわかっています。自分でも馬鹿な事をした、と。

今すぐにでもこんな事は辞めた方が良いのかもしれません。

あの方の持つクヴェルは『この世に存在してはならないモノ』だという事も、良く知っています…

けれど、力を得た代償は払わなければならない。…そうでしょう?」

顔は良く見えなかったが、エレノアの瞳を真っ直ぐに見ているのが感じられた。

エレノアは理解した。そう、昔からこの子はこういう風に真っ直ぐだったのよね。

今更、私が何を言ったところでこの子の信念は曲げられない。

例え彼の信じる「ギュスターヴ」が偽物だったとしても裏切る事など出来やしない。

裏切られる痛みを知っているから。エレノアの胸がちくりと痛んだ。

その彼を責める事は出来なかった。今となってはもうこうなってしまった運命を、呪うしかない。

「…仲間が来たようよ」

サルゴンが振り返るとイシスとトーワがぱたぱたと走ってきていた。

「あっ!やっぱあいつ、あんな薄着のままや!散歩するには寒すぎるで!」

「サルゴンさ〜ん、風邪引きますよ〜!!…ってうわぁっ!」

凍り始めた路面で滑って転んだイシスにサルゴンは駆け寄った。

「大丈夫か?何をやってるんだ…」

「阿呆!昼間っからずっとあんな顔してて思いつめて自殺でもするんかと思って追ってきてやったんや!有りがたく思え!」

「…すまない」

そんな3人のやりとりを見てエレノアはサルゴンに声をかけた。

「…今夜の事は他言無用ね?じゃあね、サルゴン」

「…はい。有難うございます。『さようなら』、エレノアさん」

これが最後の別れになる事をエレノアは確信した。

けれど敢えて振り向かず、代わりに右手を挙げて応えエレノアはドアの中に消えた。

「なんやアイツは…」

呟くトーワにサルゴンが答えた。

「…昔世話になった人だ。今でも…尊敬している」

その言葉をドアの向こうで聞いたエレノアの目から一筋、泪が零れた。

「――――――……」

 

サルゴンは呆けたように暫くドアを見つめていた。

彼の頬にひとつ、またひとつと雨の雫が落ちてくる。

「何してるんやサルゴン。行くで。また降ってきよった」

「…ああ」

冷たい雨がまた鋼の都に降り注ぐ。

3人の騎士はその場を後にした。

 

「また降ってきましたね、お客さん。今夜は冷えこみそうだ」

宿屋の主人はカウンターに座ってコーヒーを啜っていた。

エレノアは顔を伏せたまま答えた。

 

「空も…泣いているのよ」

 

別れる時はいつも雨。

涙を見せない彼の気持ちを代弁するかのように、雨が降る―――――――


一応サルゴン36歳、ボルス29歳、トーワ19歳、イシス15歳くらいなつもり。

02/06/15

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