094:A Button
「あ、ロベルト、ボタン取れてる」
「あ?」
ジニーに指差されてロベルトは自分の上着を見た。
洒落者の彼が着こなす、刺繍の入った白いジャケット。
そのジャケットについた上から2番目の金のボタンが取れかかっていた。
「あたしが直してあげるよ!上着脱いでっ」
「ジニーちゃんが直してくれるのかい?嬉しいねぇ。じゃ、頼むかな」
世界中を旅してきた彼は、身の回りの事は大抵自分で出来る。
取れかかったボタンを付けなおすくらい朝飯前だ。
だが、ジニーの可愛らしい厚意を無にする事もないだろうと、彼はありがたく彼女にボタンのつけなおしをお願いする。
ノースゲートよりも更に奥地の、開拓村の宿屋の簡素な椅子に向かい合って腰掛ける。
ぼろっちい椅子はロベルトが足を組み替えると、みしみしと軋んだ音を立てた。
ジニーはぱたぱたと自分の部屋に戻ると、プルミエールから小さな裁縫道具を借りてきた。
掌サイズの細かな装飾が施された銀の小箱を開けると、錆ひとつない針と小さな銀の鋏、上質の絹の糸が何色も並び、予備のボタンもいくつか入っている。
ジニーは針と白い糸を取り出して、小さな鋏でちょんと切る。
針に糸をなんとか通し、彼女が苦労して作った玉結びははみ出したループを引っ張ったらほどけてしまった。
そんな事をロベルトの見守る中で何回も繰り返し、不恰好ながらもなんとか解けない玉結びが出来た。
そしていよいよボタンをつけ始めたのだが、彼女の手つきは危なっかしくて仕方ない。
ロベルトがはらはらしながらもジニーの一生懸命な様子に手を出せずにいる間に、ジニーは彼の予想通り指に針を刺してしまった。
「痛っ…!」
指先にぷくっと血の雫が出来て、みるみるうちに大きくなっていく。
ジニーはその指先を咥えると更に続けようとしたが、見かねたロベルトがこれは良いタイミングだと、ジニーを止めた。
その小さな手に術法「生命の水」を施しながら、言う。
「ジニーちゃん、大丈夫か?…あのさ、気持ちはありがたいけど、やっぱり俺がやるよ」
それを聞くと、ジニーは少しむっとした顔をした。
「何?どうして?平気だよ!ロベルト、あたしにはまかせられないとか思ってるの!?」
まさに本音はその通り、核心を付かれてロベルトは内心ぎくりとしたが、顔には出さずに答える。
「別にそうじゃないさ。でもこの白いジャケットに血の染みがついちゃったら落ちないし、目立つからな」
ロベルトにそう言われてジニーは渋々ロベルトに上着と裁縫道具を渡す。
ロベルトは一度ジニーの刺した針や糸をきれいに取り去ると、新しく糸を取り、丁寧に、そして素早く作業を進めていく。
ジニーはその手際の良さを見ながらぽつりと呟いた。
「…あーあ、あたしがしてあげたかったな」
ロベルトは最後の仕上げの玉止めをしながら、ジニーに語り掛ける。
「気持ちは十分伝わったよ。その気持ちだけで嬉しいって」
「そうじゃなくてさ」
ジニーは椅子の上で両膝を抱えた。華奢なジニーの身体は小さなぼろい椅子の上に収まってしまう。
「あたし、ロベルトになぁ〜んにもしてあげられない。いっつもロベルトに頼ってばっかりでさ」
ジニーが俯くと、太陽の光にも似た、リボンで束ねられた亜麻色の髪がさらりと肩から零れ落ちる。
「そんな事ないさ。ジニーちゃんが俺にしてくれることはいっぱいあるよ」
「たとえばどんな?」
ジニーはくりくりした、小動物を思わせる若草色の瞳で上目遣いにロベルトを見上げる。
「どんな?ん〜…今みたいにふくれっつらしてないで、元気に笑ってる事かな」
「笑う事?」
繰り返したジニーに、ロベルトは糸を切りながら頷いた。
「そ」
ジニーの笑顔は不思議だ。ロベルトだけでなく、プルミエールやあのグスタフの気持ちさえも和ませたり癒したりする力がある。
色々な個人の事情や過去を背負った大人3人に、彼女の笑顔がどれほど救いになった事か。
「もしジニーちゃんのボタンが取れたら俺がつけてあげたりさ、俺のこと、どんどん頼ってくれて構わない…っつかその方が嬉しいからさ。
代わりにジニーちゃんはいつもみたいに元気に笑ってろよ、な?」
ロベルトはそう言ってジニーの頭をぽんぽんと叩いた。ジニーは僅かに頬を染める。
「あたしの服、ボタンついてないよ」
「あ」
「…まぬけロベルト」
「な、なんだとぉ〜?!」
ムキになって怒るロベルトをケラケラと笑うジニー。さっきのふくれっつらはどこへやら、だ。
それを見て、ロベルトはやっぱりジニーの笑顔は太陽のようだと思った。
ボタンがつけられなくても何が出来なくても、彼女はその笑顔と、その存在だけでいいのだ。
04/02/21
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