053:Broken Clocks

 

ボンデージに身を包んだ赤毛の妖魔は静かに目を開けた。

「ふぅ」

妖魔の君ヴァジュイールはもはやこの空間に何人たりとも立ち入る事を赦さなくなっていた。

この閉ざされた、他者を拒むリージョンに妖術力だけで進入するのは大変なものだ。

ひとえにこれも彼の妖術力の高さによるもの。

無数の歪んだ時計が静かに時を刻んでいる。

「あーあ、ここが動いているのを見るのなんて何十…いや、何百年ぶりってくらいなのに」

赤毛の妖魔…ゾズマは溜息をついた。彼の手には、一つの時を刻まぬ懐中時計が握られている。

そのまま奇怪な空間の中をゆっくりと歩き回る。

奇妙なオブジェ、不可思議な造形の並んだ廊下をゾズマはひとつひとつ懐かしむように、惜しむように見つめながら歩いた。

あるひとつの古い約束を果たすために、彼は今日ここに来ていた。

 

 

「すごいじゃないか?新しい術を編み出すなんて」

ゾズマは彼に背を向けた、精悍な体つきの妖魔に賞賛の言葉を投げかけた。

「資質を持つのはこの世で君一人って事だ。

君が例え上級妖魔じゃなくたって僕は君を心底尊敬するし、君の友人として誇りに思うよ。

新しい術を生み出すなんてそんな事、妖魔の君にだって出来やしない…フィオロ。

君も妖魔の君を名乗ったって良いくらいだ。そうだな…『時の君』なんてどうだい?」

笑顔で褒め称えるゾズマとは正反対にフィオロは浮かない顔をしていた。

「私ごときが出すぎた真似だ…そしていずれ私が死ぬ時にこの強大すぎる力は誰かに継承される」

「おいおい、こういういい日に死ぬ時の話なんて」

ゾズマの軽い抗議にもフィオロは動じなかったし、詫びる事もしなかった。

静かな空間にかちこちと時計の音が響く。

フィオロはようやく振り向いた。端正な顔だが、どこか虚ろな瞳がゾズマを捉える。

「そうしたらこのリージョンはどうなるのだろうな」

「どうにもならないさ」

ゾズマは飄々と受け流した。フィオロは柳眉を寄せた。

「ゾズマ。頼みがある」

「なんだい?」

フィオロはそういうと懐を探り、懐中時計を差し出した。

「これを持っていて欲しい」

「くれるのかい?」

ゾズマが受け取るとフィオロは頷いた。ゾズマはしげしげと時計を見つめた。

規則正しく歯車を回し時を刻むこの時計は妖魔の世界では嫌われる機械であって、あちこちを放浪しているとは言え、ゾズマにとっても珍しいものであった。

「いずれその時計が止まる時が来る」

「そりゃ機械だもんね。止まるだろうさ」

フィオロは首を振った。

「…私の分身のようなものだ。私が死んだらその時計は2度と動かない」

「…!」

狂おしく時計の鐘が鳴り響く。重々しく、低く。

「もしその時計が止まったら…このリージョンに来て、このリージョンを破壊して欲しい。私が作ったのだから私と共に消えなくてはいけない」

フィオロは妙なところでまじめだった。ゾズマは唇を尖らせた。

「君の墓標としてここは残せばいいだろ?」

「本来は無いはずのものだ。主と共に消えたほうがよかろう」

「じゃあさ」

ぱっと思いついたようにゾズマは提案した。

「君の理不尽な願いを聞く代わりに僕の願いを聞いてよ」

「…いいだろう」

フィオロは頷いて、ゾズマの目を見つめた。ゾズマはぴっとフィオロを指差した。

「今日から君は『時の君』を名乗るんだ。それが条件」

軽い気持ちでゾズマは約束した。

 

 

「…で、君はそのつまんない約束を律儀に守りぬいたね」

ゾズマは懐中時計に語りかけるようにつぶやいた。

「だから僕も守りたくもない約束を守らなくちゃならないみたいだ」

ゾズマはくっと笑った。

「残念だよ」

ゾズマは更にコツコツと歩みを進めた。

ぎ、ぎーと錆びた音を立てて桟橋が下がり、それを渡るとゾズマは最奥のホールの扉を押し開けた。

重い音と共に扉が開き、眼前に蒼い血溜りが広がる。

「…本当に残念だ」

泣き笑いのような顔でゾズマはその光景を目に焼き付けた。

しばらく動かなかったゾズマは決心したように顔を上げ、ぱちんと指を鳴らした。

床に陣が浮かび上がり、高熱の焔が吹き上げる。

「妖術で呼び出したムスペルニブルの焔…全部焼いたら消えてくれるだろ。せめて華やかな最期で飾ってあげる」

ゾズマはそう言うと動かない懐中時計を掲げた。

「僕のせいで皆が忘れてしまった君の名前を…この時計に彫りこんで君の墓標にするよ。いいだろ?…フィオロ」

ゾズマは目を閉じると妖力を集中させた。

「じゃあね、さよならだ。…永遠に。 …おやすみ、フィオロ」

燃え上がる炎の中でゾズマの姿が掻き消えた。


割と気に入ってる話。

04/01/09

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